広瀬誠・パラリンピック男子柔道・プロフィール?レーベル病とは?

 

      2017/02/15

広瀬誠・パラリンピック男子柔道60kg

9月7日に開幕したリオパラリンピック。

広瀬誠選手銀メダルを獲得し、今期パラリンピックで第1号のメダルを日本にもたらしてくれました。

 

パラリンピックって奥が深いな〜と思いました。

人間の可能性に限界はないのだ~!と考えさせられる、驚異の身体能力。

そしてそこに到達するまでのメンタルの強さ、あきらめない努力。

どれをとってもすごい、すごーい!と、ただただ感動です。

試合を見るにつけ様々な思いが頭をよぎりました。

ナマケモノな自分を見つめ直す良い機会となってます…汗。

話しは戻って、男子柔道60kgで銀メダルを獲得した広瀬誠選手にスポットを当ててみます。

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広瀬誠選手のプロフィール
生年月日 : 1976年11月22日
出身地 : 愛知県
身長 : 166cm
体重 :63kg
出場種目 : 60kg級
カテゴリー : B2
競技暦 :22年
愛知県西尾東高校柔道部

広瀬誠選手のこれまでについて

2004年 パラリンピックアテネ大会 銀メダル

2008年 パラリンピック北京大会  7位

2012年 パラリンピックロンドン大会 5位

西尾東高校に進学して柔道を始めたものの、2年の終わりにレーベル病を発症してしまうのです。

そして、本も読むことが出来なくなり、生活するのも不自由になってしまいます。

そのため、愛知県立岡崎盲学校へ入り、寄宿舎生活を送ることに。

それまで見えていた目が見えなくなる恐怖と不安そして不自由さ…。

とても苦労されたことと思います。

寄宿舎に入りながらも、柔道を実業団で続け、その後は盲学校の教師になるために筑波大学理療科教員施設に入ります。

そして、盲学校の教員として名古屋盲学校に赴任するのですが、27歳ぐらいまでは東京であんま・針・灸師のお仕事をされていたようです。その後に愛知県にて教員となっているようです。

広瀬誠選手が柔道を始めたきっかけですが、中学生の時にはバレーボール部に所属、その先輩が高校で柔道部に入部し黒帯を取ったのだそう。

それを見て、自分でも黒帯を取れるかもしれないと思って柔道部に入ったそうです。そこで柔道の面白さにハマってしまったのだとか。

広瀬誠選手が視覚障害となったレーベル病とは?

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廣瀬選手の視覚障害の原因となったレーベル病は正式な病名は「レーベル遺伝性視神経症」と言います。

この病気はミトコンドリアの遺伝子異常のために、網膜の細胞が部分的に障害を受ける病気で、男性に多く見られ、特に10代から30代そして40代前後に発症する確率が高いそうです。

発症すると数週間から数ヶ月内に、視力の低下や、視野の中心部分が見えなくなるのだそう。

ミトコンドリアの遺伝子に異変があって、さらに何らかの要因が加わる事で発症するらしいのですが、その要因は酸化ストレスとの関連があると予測されていますが、よくは分かっていないようです。

廣瀬誠選手の話からはちょっとそれますが、「地元で有名な悪ガキ」だった男の子が、小学校6年の時に同じレーベル病を発症し、高校生になって「ラッパー」としてライブイベントに参加したというお話を見つけました。

その男子高校生の作ったオリジナル曲の歌詞の一部をご紹介したいと思います。

いきなり12で視野の中心ねぇ 見えなくなった 急に目 10万人に1人のレーベル病 渡された1級の障害者手帳 初めは鏡で見えねぇ顔 俺なにもしてねぇだろ

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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